僕は、これを書かねばならない。
豊川孝弘先生のすごさだ。
僕には、子ども棋士のみんなに伝える義務がある。
プロ棋士は将棋界の超天才集団。だから、もちろん、ものすごく将棋が強い。
これは、当たり前だ。
日本の伝統文化である将棋。礼儀作法も含めた棋道にも通じているのがプロ棋士のみなさんだ。
<来賓なのに>
礼に始まり礼に終わる棋道。
だが、僕が豊川先生に見たのは、「礼に始まる前」までの棋道と「礼に終わって」からの棋道だった。
大福交流会(関連記事)に来賓として来てくださった豊川先生。
開始前、まず、驚いた。
会場につくなり、なんと椅子を並べたり、子ども達にナゾナゾ用の鉛筆や紙を配ってくれるのだ。
僕は恐縮である。
「いやいや、センセ、どうぞ、座っていてください」
そしたら。
「いやいや、有田さん、でしゃばってすみません。なんでもやりますんで、言ってください」
繰り返す。
豊川先生は来賓である。
にも関わらず、裏方の仕事をしてくれるのだ。
その上、上記の言葉。
もはや、この時点で、僕やおばちゃん先生(または厚子先生)はメロメロである。
そばで観ていれば、そのメロメロが顔に出ていたはずだ。
どんな顔か、イラストにしてみたので参考にしてもらいたい。
その上、携帯盤をくださり、関口先生とともに揮毫まで。
<イーヤンのメロメロ>
会の後は、イーヤンの取材にも快く応じてくださった。もちろんイーヤンの記者さんは将星会特別コーチの河口先生と染矢先生。
取材のための対局なのだが一生懸命に指導してくださる。
「いやあ、これはすごい手でした。どっちがプロだかわからないですね。
この手を指されたら、羽生が10人いても勝てません。
ハブ・ア・ナイスデイ」
(念のために書きます。子ども棋士の皆さん、豊川先生が「羽生」というのは、呼び捨てにしているのではありません。
同じ日本将棋連盟という組織の一員なので、他の人には、このように言うのが礼儀なのですよ。
例えば、君たちがお母さんのことを誰かに話す時は「私のお母さん」と言わずに「私の母」と言った方がいいのですよ)
こんな言葉をかけられた両氏もメロメロである。
読者プレゼント用の色紙制作も快諾してくださった。
わざわざ印鑑までも用意してくださっての揮毫だ。
(イーヤン読者プレゼント僕も応募したいです。ここでイーヤン編集部の公正さにふれておきますが、僕は何度応募しても当選したことがありません。みんなも応募しよう)
そして終了後は片付けで大奮闘してくださった。
プレロットの表まで、封筒に入れてくださっている。
「セ・センセ、もう、お気遣いなく、どうぞ、座っていてください」
「いえいえ、有田さん。勝手にやっちゃってすみません。他になんでも言ってください」
これである。
イーヤンの両氏は口をそろえる。
「大ファンだったんですが、人間的にものすごく素晴らしい方です。こういう面を知り、ますます、大ファンになりました」
<棋魂のベース>
豊川先生は「棋魂」という言葉を好んで色紙に書いてくれる。
勝負に対する厳しい姿勢がにじみ出る言葉だ。
そして、その魂は、盤を離れた時に、なんと言ったら良いだろうか、そうだ、淡く伝わる体温、そんな感じの人間性がベースにある。
それこそ、言葉を換えれば、「礼」の前後にある「棋道」だろう。
日常のさりげない棋道があればこそ「棋魂」を生み出すことができるのだと思う。
<ゆるがぬ棋道>
いつか、人工知能がプロ棋士を凌駕する時代が来るかもしれない。
いや、すでに来ていると言えるのだろうか。
でも……。
子ども棋士の皆さんに言いたい。
棋道はゆるぎもしないのだ。ここを忘れないでほしい。
スキル(技術)とソウル(魂)は収納場所が違うんだぞ。
<参りマンモス>
こうして終えた2日間。
携帯が鳴った。
ふとみると、豊川先生からのメール。失礼を承知で子ども達に紹介させて頂く。
「二日間、ありがとうございました」
に始まり
「有田さんの会は素晴らしい会です。参りマンモス。返信は大丈夫です」。
あたたかさに涙が出た。「参りマンモス」は僕の方だ。
がんばろうと思う。
追伸:先生、今後はどうぞお気遣いなくお願いします。
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