「天国で杉崎先生が喜んでいると思います」
村谷さんは、そう言ってくれた。
僕がオールアバウトに書いた『鋳鉄(ちゅうてつ)の扉を開けた棋士~杉崎里子』を読んでくれての感想だ。
彼は、僕の拙文でさえ故人に届くと考えてくれていた。
ならば、僕は書かなければいけない。いや、書きたい。
村谷さん、天国で暇な時に読んでね。
できれば杉崎先生といっしょに。
ということで、(やっと)村谷さんについて書く。
村谷かずふみ(ひらがなで書くわけは後日)氏。
彼は大分県将棋連合会専務理事。2017年3月26日、59歳で逝った。
まず、言いたい。早すぎだよ村谷さん。
<ひょうひょう達人>
村谷さんは大会運営の達人だ。
まず、会場を予約する。当日は複数クラス大会のスイス式手合を一人で采配し審判も兼ねる。
なおかつ棋譜を記録するのである。写真も撮る、表彰もする。結果を新聞社に送る。
一度でも大会を運営したことがある人なら、この凄さがわかるであろう。大分棋界の聖徳太子である。
僕には到底できない神業だ。
猫の手100本借りてもできない。
達人という表現は大げさでも何でもない。むしろ言い足りないくらいだ。
そして、この太子はタコ足配線のように複雑な業務をひょうひょうとこなすのだ。
僕なんか、血眼、汗だくでやってるのになあ。
それを、いとも簡単にやっちゃう。
まいったなあ。である。
どうして、できるのかと尋ねてみたことがある。
「そうですかあ。不思議でもなんでもないですよ。有田さんなら、できますよ」と、これまたひょうひょうと答えてくれた。
できっこないから尋ねているのに。
このひょうひょうさを、僕は村谷調と名付けていた。
卓越した処理能力とひょうひょう村谷調。
彼は「ひょうひょう達人」である。
その2につづく。